大谷翔平選手の活躍を少年時代から最も近くで見ていた大谷翔平選手の父親である大谷徹さん。
3人兄弟(兄と姉)の次男として大谷家に誕生した大谷翔平選手をどのように育て上げたのか。
今回は、大谷徹さんの野球実績、選手や監督としての活躍、写真も合わせて紹介していきます!
最後までお読みいただくと、大谷翔平選手のことをもっと応援したくなりますよ!
では、早速見ていきましょう!
大谷徹(大谷翔平の父)のプロフィール
親ありて:大谷翔平さんの父 正直で真っすぐな人間にhttps://t.co/hEOmmevsSw#大谷翔平 pic.twitter.com/hJGY9qbAT3
— 楽天Infoseekニュース (@Infoseeknews) December 7, 2017
参考文献:wikipedia
- 名前:大谷 徹(おおたに とおる)
- 出身地:岩手県北上市和賀町
- 生年月日:1962年(58 – 59歳)
- 身長:182 cm
- 投球打席:右投左打
- ポジション:外野手
- 出身高校:岩手県立黒沢尻工業高等学校
- 勤め先:三菱重工横浜 - トヨタ自動車東日本
「正直でまっすぐな人間に」3人の子どもを育てあげた大谷徹さん。
メジャーリーグで今まで見たことのない金字塔を打ち立てる息子を持つ父親の野球観はどのようなものなのでしょうか。
詳しく調べてみました!
大谷徹(大谷翔平の父)の野球選手実績は?
大谷徹さん自身は、小学生の頃から野球に没頭していました。
きっかけは、「父親に野球を勧められたから」だったそうです。
スポーツをはじめるきっかけの多くは”親”と言われますが、大谷徹さんも大谷翔平選手も”親”がきっかけで野球を始めているようですね。
では、中学校以降はどのような選手だったのでしょうか。
大谷徹(大谷翔平の父)の中学時代
実は、中学校入学後、すぐに野球部に入部し大活躍!というわけではありませんでした。
というのも、当時の野球部は坊主頭で五厘にするのが当たり前の時代でした。
それを避けるべく、中学校では陸上部に所属していました。
中学2年生時に100m走、走高跳、砲丸投の3競技で岩手県大会に入賞するなど、陸上に本腰を入れれば優秀な成績を残せるような方でした。
しかし、”個人競技”である陸上だからこそ、”自分自身”に結果や成績が目に見えて付くことが嫌で、中学2年生の途中から野球部に所属することになりました。
大谷翔平選手の父親なだけあり、エースで4番を打っており、のちに大谷翔平選手が進学した花巻東高校や盛岡大付属高校といった岩手県屈指の強豪校から声をかけられるなど、注目が集まったようです。
最終的には、将来を見据えたうえで工業高校である岩手県立黒沢尻工業(通称:黒工)へ進学し野球を続けていました。
大谷徹(大谷翔平の父)の高校時代
黒工へ進学後は、1年生から野球に没頭していました。
しかし、活躍していたものの、1年生の時に投手としての道を変え、外野手としてプレーすることになりました。
短距離は陸上をやっていたことからめちゃくちゃ早かったようで、それをうまく生かすために左打にシフトするほどのものだったようです。
大谷翔平選手も右投げ左打ちですし、快足を生かした1番バッター、似ている部分が多いですね。
塁に出ることが最も大事と言われる1番バッターで活躍し、外野手としての強肩を生かしながらのプレーを3年生まで続けたようです。
甲子園出場はなかったものの、個人としての実力があったため、三菱重工横浜野球部の選考を受け、合格したため、三菱重工横浜に就職しました。
大谷徹(大谷翔平の父)の三菱重工横浜時代
三菱重工横浜へ就職し、仕事と野球の二刀流に没頭していましたが1年目に肩を負傷し、24歳で現役としての野球人生を終えました。
仕事に夢中に取り組む一方で、結婚や育児も熱心に取り組んでいたようです。
筆者自身も2児の父親ですが、子育てと仕事の両立は本当に難しいですよね。
それに加えて野球までやってとなると、考えただけで少し呼吸が苦しくなりそうです笑
大谷徹(大谷翔平の父)の監督実績
こうして現役としての野球人生を終えた大谷徹さん。
1986年に選手としての活動を終えた後、2002年に転機が訪れます。
1994年に生まれた大谷翔平さんが地元の野球チームに加入することになると、そのチームのコーチをやるようになっていきました。
最終的にそのクラブの監督を務めることになり、大谷翔平選手の活躍だけでなく、大谷翔平選手を含めたチームメイトを最も近くで育てている存在になりました。
大谷翔平選手が中学校へ進学した際には、息子の所属するクラブチームが変更となったため、当時やっていた監督の座から降り、大谷翔平選手が所属することになったクラブチームのコーチへと転向しました。
まとめ
大谷翔平選手の父親である大谷徹さんの野球関連情報をまとめてみました。
どのようにして”日本の宝”が育ったか少しでもお判りいただけましたでしょうか。
この記事で伝えたかったこと、それは”子は親の鏡”であるということです。
親が何事も前向きにとらえて何とか前に進んでいく姿を子どもは必ず見ています。
少しでもそのような気になっていただけたら幸いです。
ということで今回は「」と題してお送りしました!
最後までお読みいただきありがとうございました!