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大谷翔平はドラフトで何球団から指名?日ハムを選んだプレゼンとは?

今となっても伝説と名高い「大谷翔平の日本ハム入団」。

元々、高校卒業後メジャー行きを希望していた大谷翔平選手。

同級生の藤浪晋太郎選手と本格派の投手として競い合い、ドラフトでも大きな注目を集めました。

メジャーで躍進を遂げている大谷翔平選手の日本ハム入団に関連してこの記事では

ネコ
ネコ
  • 大谷翔平はドラフトで何球団から指名された?
  • 日本ハムを選んだ理由は?
  • 日本ハムのプレゼンがすごいと言われたけど、どんな資料だった?

このような疑問を簡潔に解決します!

最後までお読みいただくと、大谷翔平選手はどこまでいっても素晴らしい選手だと再認識させられます!

では、早速みていきましょう!

大谷翔平はドラフトで何球団から指名?

2012年10月25日のプロ野球ドラフト会議に大谷翔平選手は複雑な心境で望んでいました。

というのも、日本プロ野球界は経由せずにメジャーへ挑戦することを明らかにしていたからです。

そのため、各チームの首脳陣は大事な1巡目の枠を大谷翔平選手には当てず、他の選手を獲得しようとしました。

そんな中で波乱を巻き起こしたのが後に加入することになる北海道日本ハムファイターズになります。

大谷翔平選手がドラフトで何球団から指名されたか?の回答は「1球団」です。

日本ハムファイターズが大谷翔平選手を単独1位指名したことで当の本人も周りのチーム首脳陣も大混乱を招きました。

何より、18歳の大谷翔平選手が残したドラフト直後の発言がそのことを物語っていています。

「(メジャー挑戦を)一度決断した以上は、アメリカで頑張ろうと思っていましたし、どこに指名されても自分の意思だけはしっかりと持っていようと思っていたので、今はアメリカでやりたい気持ちしかありません」

きっぱり日本プロ野球界には振り向きもせず、メジャー挑戦に向けてブレない心の準備もあったのでしょう。

では、なぜ最終的には日本のプロ野球界に参戦することとなったのでしょうか。

そこには日本ハムファイターズの全霊をかけた勝負のプレゼンがありました。

詳しくみていきましょう。

大谷翔平への日ハムのプレゼンが凄い!

大谷翔平選手がメジャーへ挑戦すると公言しているにも関わらず、ドラフト1位で指名したことには理由があります。

というのも、日本ハムはその年のナンバー1の選手を1位指名するという「ルール」を決めて動いています。

「1位指名を必ず取りたい」という思いを中心にしている他球団と同じ気持ちはもちろんあるものの、それ以上に「その年のナンバーワンを指名する」という独自性の元、ドラフトに挑んでいます。

指名後に改めて大谷翔平選手と交渉したのは

  • 栗山監督
  • 山田正雄GM
  • スカウトの大渕隆(おおぶちたかし)さん

チームにとって一大イベントであるドラフトなだけあり、チームの構想を練っている主要な3名で臨んだようです。

大谷翔平の当時の思い

ドラフト会議から約一カ月半が過ぎた2012年12月9日。

大谷翔平選手は日本ハムへの入団を決めました。

当時、

ネコ
ネコ
  • メジャーでやると言っていたのに急に日本ハムに切り替えたのはなぜ?
  • 男に二言があっていいのか?
  • 日本野球界が大谷翔平選手の夢を潰したのでは?

様々な憶測と反対の声があったことを覚えています。

その状況下で、大谷翔平選手は当時このように語っています。

指名されたあとも、メジャーでやってみたいという気持ちが強かったですし、(日本ハムへは)行かないだろうと思っていました。

ただ、何回も岩手県に来てもらって、何回も話をさせてもらって、(日本ハムで)やってみたいなという気持ちが強くなっていった。

球団としての熱意、栗山監督の熱意も伝わりましたし、交渉を数回重ねていくなかで、ここ(日本ハム)で自分を追い込んでいきたいと思うようになっていきました。

元々曼荼羅シートで明確な目標を次々と達成できるくらい意思が堅い大谷翔平選手を中途半端な思いにさせず、日本ハム入団へと導かせたのは間違いなく交渉者の結果と言えるでしょう。

では、その交渉にあたりどのような資料が読まれ、どのようにして心を動かしたか気になりますよね!

日ハムのプレゼン資料

2012年12月13日に日本ハムファイターズ公式HPにて、「大谷選手との入団交渉時に提示した球団資料について」が公表されました。

タイトルは「大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜」になります。

現在は公式HPで公開終了とされていますが、当時高校生であった筆者は大谷翔平選手のマインドに興味があったため資料をダウンロードしてました。

日本ハムファイターズ公式HP

なお、現在のHPには以下の文章が掲載されています。

北海道日本ハムファイターズは、球団資料「夢への道しるべ」を本日から球団ホームページにおいて公開いたします。
この資料は、ドラフト1位指名した大谷翔平選手(花巻東高)との入団交渉において提示した原本ですが、ファンの皆様や報道関係者から内容についての問合せが多く、今回は個人情報など公開が適当でないと思われる一部を除く全文を開示いたします。

プレゼン資料については、こちらのページで確認できます!

大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜大谷翔平選手が北海道日本ハムファイターズ(以下、「日ハム」)に入団する前に受けた日ハムからのプレゼン資料になります! 一時的に球団...

自分にも使えるプレゼンとは?

大谷翔平選手の心を動かした日本ハムのプレゼンがどのようなものであったか見ていただけましたか?

  • 相手が求めているものが何か
  • 同じ立場で挑戦した人がどのような結果になったか
  • 野球以外のスポーツと比較
  • その求めているものをどうしたら達成できるか
  • 達成に向けて自分が応えられることは何か
  • 何を与えることができるか

様々な視点から大谷翔平選手の問題点を「解決」するために作られた資料でした。

会社員になった自分が改めて見てみても非常に役に立った資料の1つです。

具体的に資料を作成して、プレゼンをする前に

  • そもそも大谷翔平選手の疑問は何か
  • 将来どんなビジョンを描いているのか
  • そのビジョンを達成するために最適な選択肢は何か

多くのことを丁寧に聞き取り、一緒になって課題を解決しようとする姿勢に心を打たれたのではないでしょうか。

ネコ
ネコ
  • こんなことが僕はできます!
  • 環境がすごくいいんです!

それは自己満足であって、相手のことを考えたプレゼンとは言い難いですね。

日本ハムサイドは、当時の大谷翔平選手には全く必要ないと判断したのでしょう。

自分たちに何ができるかではなく、

「あなたのなりたい姿になるなら、最適なルートは日本ハムを経由してからメジャー行きですよ!」

ということを明確にしたからこそ、入団を決定づけたのだと思います。

まとめ

大谷翔平選手の活躍が目立つ一方、このような背景があったからまずは、日本野球界で名前を轟かせることになったことをご存知でしたでしょうか。

日本ハムの交渉も素晴らしかったですが、何よりその考えを受け止め、実際に達成していった大谷翔平選手が超一流になる目標を常に持ち続けていたからこそ今があるのだと思います。

自分自身のプレゼンを振り返ってみて、もっと「相手のことを思う」ことも学ぶことができました。

まだまだ多くのことを大谷翔平選手から勉強できそうですね!

最後までお読みいただきありがとうございました!